コンテンツへスキップ

取材記事

【サンプル】「図面の裏にある事情まで聞く」——町工場3代目が、値下げ競争から降りた理由

2026.09.12 約20分 取材日: 2026-09-05 場所: 東京都大田区・村瀬精工 工場
【サンプル】「図面の裏にある事情まで聞く」——町工場3代目が、値下げ競争から降りた理由
村瀬 大輔

取材先

村瀬 大輔

代表取締役/村瀬精工株式会社

製造業(精密板金加工)

https://example.com/

見積もりの安さで選ばれるのをやめた。代わりに「なぜその図面になったのか」を聞くことにした。町工場3代目の村瀬さんが語る、単価を上げても仕事が増えた転換点。

※このページはデザイン確認用のサンプル記事です。登場する人物・企業・エピソードはすべて架空です。

見積もりの安さで選ばれる競争から、村瀬精工は静かに降りた。3代目の村瀬大輔さんは、価格を聞かれたときに値段の前に「その図面になった理由」を聞くようになったという。単価を上げても仕事は減らず、むしろ指名で仕事が来るようになった。大田区の小さな工場で起きた、値決めの発想の転換と、そこに至るまでの苦労を聞いた。

創業経緯|継ぐより先に、辞めたいと思っていた

自動車部品メーカーで見た「現場」

――村瀬さんのキャリアは、家業からではなく大手メーカーから始まったそうですね。

村瀬:そうです。大学を出て、大手の自動車部品メーカーに入りました。生産技術の部署で、量産ラインの改善をやっていたんです。うちの工場みたいに一枚一枚図面を見て板金を曲げる仕事とは、正反対の世界でした。当時は正直、父の工場を継ぐ気は全くなかったです。

――子どものころ、工場はどんな存在でしたか。

村瀬:家のすぐ隣が工場だったので、休みの日に機械の音がしていると、遊びに行くような感覚でした。ただ、父はいつも取引先との価格交渉で疲れた顔をしていて、「この仕事は大変そうだ」という印象しかなかったです。跡を継げと言われたことも、一度もありませんでした。

――継ぐ気がなかったのに、2015年に戻られました。きっかけは。

村瀬:父が体調を崩して、入院したんです。母から電話がかかってきて、「工場を誰かが見ないと、取引先に迷惑がかかる」と言われました。正直、義務感というより、断れる雰囲気じゃなかったというのが正しいです。1ヶ月だけ手伝うつもりで戻って、結局辞めずに残りました。

数字が父の頭の中にしかなかった

――大手からの転職で、最初に感じたギャップはありましたか。

村瀬:数字の管理の仕方が全然違いました。大手だと原価計算も工程管理もシステムが整っています。うちは父の頭の中にしかない。見積もりの根拠を聞いても「長年の感覚」としか返ってこないんです。これは記録に残さないと、父が引退したら会社ごと止まると思いました。

――戻って最初の数ヶ月、実際に何をしたのですか。

村瀬:まず、過去2年分の見積もりと実際にかかった材料費・工程時間を、全部ノートからExcelに打ち直しました。地味な作業でしたが、それをやって初めて、案件によって利益率が大きく違うことが見えてきたんです。ほとんど利益が出ていない案件を、惰性で続けていたことも分かりました。

――父親の反応はどうでしたか。

村瀬:最初は「そんな細かいことをして何になる」という顔をされました。ただ、利益の出ていない案件の一覧を見せたときは、黙っていました。父も薄々気づいていたけれど、目を向けたくなかったんだと思います。

――お父様は、今も工場に関わっていますか。

村瀬:週に2、3日、様子を見に来ます。今のやり方について、あれこれ口を出すことはなくなりましたが、たまに「そこまで聞くのか」と驚いた顔をしています。先代からすると、値段以外のことをこんなに話す営業は、想像もしていなかったんだと思います。それでも、指名の仕事が増えていくのを見て、少しずつ認めてくれるようになった気がします。

2020年、3代目になった日

――2020年に代表を継がれたときの状況を教えてください。

村瀬:従業員は18名、そのうち10人以上が父の代から働いているベテランでした。私は現場では新人みたいなものです。代表になった日、正直「何も変える権限がない」と感じました。技術は職人が持っている。私にできることは、営業と数字の部分だけだと割り切りました。

――当時の受注状況はどうでしたか。

村瀬:相見積もりが当たり前でした。3社から声がかかって、一番安いところが取る。うちは設備がやや古い分、価格で合わせるしかない。人件費を削って何とか帳尻を合わせていました。父の代からそれが普通で、疑問を持つ人もいませんでした。

――その状態を、どう感じていましたか。

村瀬:このままでは、設備も新しくできないし、職人の給料も上げられない。誰かが定年で辞めたら、次の人を雇う余裕もない。じわじわ縮んでいく未来しか見えませんでした。何か変えないといけないとは思っていましたが、何をどう変えればいいのか、代表になった時点では全く分かっていませんでした。

――当時、他の工場の経営者との付き合いはありましたか。

村瀬:同業者の集まりに顔を出すようになったのもこの時期です。ただ、そこで出てくる話も「うちも安値競争で苦しい」というものばかりで、正直、答えは見つかりませんでした。むしろ、みんな同じ悩みを抱えているのに、誰も抜け出す方法を知らないんだと分かって、逆に開き直れた部分もあります。答えは外にはなくて、自分で見つけるしかないんだと思うようになりました。

――前職の経験は、その後どう活きましたか。

村瀬:大手にいたころ、部品を発注する側として下請け工場とやり取りしていた経験があります。あの時、自分がどんな図面や説明を受けたら「この工場は分かってくれている」と感じたか。それを逆から思い出す作業が、今の聞き方につながっています。発注する側の気持ちを知っていたのは、地味に大きかったと思います。

事業内容・強み|図面の「裏の事情」を聞く工場

きっかけになった一件の相談

――値決めの発想を変えたきっかけを、もう少し詳しく聞かせてください。

村瀬:ある機械部品メーカーの担当者が、図面を持ってきたときのことです。世間話のつもりで「この形、正直変えたいんですけど設計に言えなくて」とこぼしたんです。聞くと、その部品は曲げの角度が厳しくて、うちの工程だと不良率が上がる。その分の損失は、うちが値引きで吸収していました。原因は図面側の設計にあったのに、誰もそれを言わなかったんです。

――その担当者は、なぜ設計に言えなかったのでしょうか。

村瀬:社内の力関係だと思います。設計部門の方が立場が強くて、加工現場や外注先からの意見は通りにくい。うちのような下請けが「加工しにくいので変えてほしい」と直接言うのは、なおさら難しい。でも、加工する側にしか分からない情報は確かにあるんです。それを伝える方法を、値段の交渉とは別に作れないかと考えました。

――その一件は、最終的にどうなったのですか。

村瀬:担当者に「一度、設計の方に加工の視点から意見を出してもいいですか」と提案しました。断られるかと思いましたが、意外と「助かります」という反応でした。実際に図面を一部修正してもらったら、不良率が大きく下がって、結果的にその案件は継続の受注につながりました。あの一件がなければ、今のやり方には行き着いていなかったと思います。

見積もり前に聞く3つの質問

――そこから何を変えましたか。

村瀬:見積もりを出す前に、必ず3つを聞くようにしました。「この部品はどこで、何をするものか」「求められている精度は、本当にその数値でないと駄目なのか」「量産か試作か、今後の予定はあるか」。この3つが分かると、公差を緩められる箇所や、曲げの順番を変えて工程を減らせる箇所が見えてきます。

――具体的に、聞いたことでどんな提案ができたのか、別の例を教えてください。

村瀬:ある産業機器メーカーの案件では、「これは屋内で使う制御ボックスの外装です」と聞けたので、屋外用の防水基準ほどの精度は不要だと分かりました。公差を緩める代わりに、板厚を少し変えて強度を確保する提案をしたところ、結果的に材料費も加工時間も減って、単価は下げられたのに、うちの利益率は上がりました。お客様にもうちにも得がある提案です。

――聞いたことを、どう見積もりに反映するのですか。

村瀬:見積書に、価格だけでなく提案書を一枚添えるようにしました。「この形状のままだと不良率が上がるので、ここを変えれば単価を下げられます」「逆にこの精度を保つなら、この価格が適正です」と。値段の説明ではなく、図面の説明をする感覚です。

値段を聞かれたら、まず理由を聞き返す。それだけで、値切られる側から、相談される側に変わりました。

「面倒な工場」から「頼れる工場」へ

――最初は取引先の反応はどうでしたか。

村瀬:正直、最初は煙たがられました。「見積もりだけ早く出してくれ」という担当者もいましたし、「うちの設計に文句があるのか」と受け取られたこともあります。ただ、半年くらい続けたところで、指名で声がかかる件数が増えてきました。相見積もりに呼ばれるのではなく、最初からうちに頼みたいと言われる仕事です。

――取引先の担当者からは、どんな声をもらいましたか。

村瀬:「他の工場は言われた通りに作るだけだけど、村瀬さんは一緒に考えてくれる」と言われたことがあります。設計部門の人からも、「加工現場の意見を聞ける機会があると、次の設計に活かせる」と言ってもらえるようになりました。単なる下請けではなく、設計の相談相手として見てもらえるようになった感覚があります。

――数字で言うと、どのくらい変わりましたか。

村瀬:指名での受注が、当時の2割くらいから4割近くまで増えました。単価も平均で1割ほど上げましたが、受注数はむしろ増えています。全部が成功したわけではなく、「値段だけで選びたい」という取引先とは、離れることになった案件もあります。それは仕方がないと思っています。

品質にも跳ね返ってきた

――現場の職人さんたちの反応はどうでしたか。

村瀬:最初は「営業がまた変なことを始めた」という顔をされました。ただ、聞いた情報を現場に共有するようになって、「なぜこの精度が必要か」が分かった上で加工できるようになったんです。ベテランの職人が「意味が分かると、力の入れ方が変わる」と言ってくれたのは嬉しかったです。

――現場への情報共有は、具体的にどうやっているのですか。

村瀬:加工指示書に、聞いた背景を一言添えるようにしています。「この面は外から見える部分なので傷に注意」「ここは屋内使用なので防水は気にしなくてよい」といった具合です。以前は寸法だけの指示書でしたが、それだけで現場の判断のスピードが変わりました。

――品質面での変化もありましたか。

村瀬:不良率が下がりました。用途が分かっていると、現場が「ここは多少ずれても大丈夫」「ここは絶対に外せない」を判断できます。以前は全部を同じ精度で仕上げようとして、無駄な手間もかかっていました。結果的に、コストも下がっています。

――この聞き方は、どうやって社内の仕組みにしていったのですか。

村瀬:最初は私が全部の商談に同行していましたが、それでは会社が私一人の能力に依存してしまいます。そこで、聞くべき3つの質問を、営業担当だけでなく、見積もりを作る事務のスタッフにも共有するようにしました。電話で問い合わせを受けた時点で、用途を聞けるようにしたんです。小さな変化ですが、聞く場面が商談だけでなく、日常のやり取り全体に広がったのは大きかったと思います。

――取引先の業種は広がりましたか。

村瀬:以前は自動車関連の部品がほとんどでしたが、今は医療機器の筐体や、農業用機械の部品も手がけるようになりました。用途を聞く姿勢そのものが、業種を問わず通用する強みだと分かったからです。新しい業種に挑戦するときも、分からないことを正直に聞くようにしたら、案外受け入れてもらえました。

――医療機器の分野は、知識がないと難しそうですが。

村瀬:最初は正直、断られると思っていました。医療機器の担当者に「うちは医療分野の経験がありません、その分丁寧に聞かせてください」と伝えたら、「知ったかぶりをする工場よりいい」と言われたんです。分からないことを分からないと言えることも、聞く姿勢の一部だと気づきました。今ではその会社が、別の医療機器メーカーを紹介してくれるまでになっています。

苦労した時期と乗り越え方|値上げで、一番の顧客を失った

強気に出すぎた見積もり

――うまくいった話が多いですが、失敗したこともありますか。

村瀬:ありました。方針を変えて1年目、一番付き合いの長い取引先に、思い切って単価を2割上げた見積もりを出したんです。提案書もつけて、理由も説明しました。でも、断られました。長年の付き合いだから多少は分かってもらえると思っていたんですが、その会社にも予算の事情があって、他社に切り替えられてしまったんです。

――その時、どんな気持ちでしたか。

村瀬:ショックでした。父の代からの付き合いで、私が子どものころから知っている担当者もいた取引先です。値上げの提案書を作るときも、一番自信を持って出した案件だったので、断られたときは自分のやり方自体が間違っているんじゃないかと、本当に落ち込みました。

売上が2割落ちた3ヶ月

――大きな取引先だったのですか。

村瀬:売上の15%くらいを占めていた取引先でした。それがなくなって、月の売上が2割近く落ちた時期があります。正直、あの時は「値決めを変えたのは間違いだったのか」と何度も考えました。銀行からの借入もあったので、資金繰りは厳しかったです。

――資金繰りは、実際どのくらい厳しかったのですか。

村瀬:支払いを1週間ずらしてもらうよう、取引先の一部にお願いしたこともあります。恥ずかしい話ですが、あの3ヶ月は毎週、銀行の残高を確認するのが日課でした。母からは「無理して値上げしなくても良かったんじゃないか」と言われて、それも堪えました。

――どうやって立て直したのですか。

村瀬:まず、失った理由を担当者に直接聞きに行きました。「価格が高いから」ではなく、「社内の稟議のタイミングと合わなかった」というのが実際の理由でした。値上げそのものが否定されたわけではないと分かって、少し冷静になれました。そこから、値上げのタイミングを取引先の予算編成の時期に合わせるとか、段階的に上げるとか、伝え方を工夫するようになりました。

職人からの反発

――社内の反応はどうでしたか。

村瀬:職人たちからは「お前が余計なことをして仕事を減らした」と、はっきり言われました。ベテランの一人からは「安くても仕事があった方がいい」とも言われて、返す言葉がなかったです。ただ、その3ヶ月の間も、新しい聞き方で獲った小さな仕事が少しずつ増えていて、それを一件一件見せて回りました。「これは前のやり方だと取れなかった仕事だ」と。

――一番反発が強かった職人とは、その後どうなりましたか。

村瀬:その人が「これも聞き方を変えて取れた仕事か」と、自分から聞いてくるようになったのが、半年くらい経ったころです。何かを言葉で説得したわけではなく、小さい仕事が積み重なっていくのを見せ続けたことが、一番効いたと思います。今はその人が、若手に「用途を聞いてから加工しろ」と教える立場になっています。

――その3ヶ月の間、辞めていくスタッフはいなかったのですか。

村瀬:ベテランの一人が「もう少し様子を見る」と言って踏みとどまってくれましたが、正直、いつ辞めると言われてもおかしくない空気でした。給料を下げずに済ませるために、私自身の役員報酬を一時的に減らしたのもこの時期です。従業員に負担を押し付けたくないという一心でした。

――信頼を取り戻すのに、時間はかかりましたか。

村瀬:半年くらいかかったと思います。失った取引先の分を、指名で来る新しい仕事が埋めるまでは、正直綱渡りでした。今振り返ると、あの3ヶ月があったから、値上げの伝え方に慎重になれたので、無駄ではなかったと思っています。

――家族への影響はありましたか。

村瀬:正直、家では会社の話をあまりしないようにしていたんですが、あの時期は妻にも顔色で分かられていたと思います。夜、資料を作りながらため息をついていたら、「一人で全部背負わなくていいから」と言われたことがあります。当時は素直に頷けませんでしたが、今思うと、あの言葉に助けられていました。

経営の課題・集客・採用|聞く技術は、人にしか教えられない

今の一番の課題は「人」

――今、経営で一番の課題は何ですか。

村瀬:人です。今の聞き方、提案の仕方は、私と数人のベテランしかできません。若手に同じことを求めても、経験がない分、聞くべきポイントが分からない。この「聞く技術」を、どうやって会社の仕組みとして残すかが、今の一番の悩みです。

――育成はどうされていますか。

村瀬:商談に若手を同席させて、あとで「あの時、なぜあの質問をしたか」を振り返る時間を作っています。マニュアル化しようとしたこともありますが、質問のパターンを箇条書きにしても、現場では全然使えなかった。結局、一緒に現場に行く回数を増やすしかないという結論になっています。

聞き方は教科書にできない。一緒に行って、失敗させるしかないんです。

採用は工場見学から

――採用については、どんな取り組みをしていますか。

村瀬:地元の工業高校と連携して、年に数回工場見学を受け入れています。板金加工は正直、若い人からは地味な仕事に見えると思います。でも、実際に「なぜこの形になったか」を考える仕事だと知ってもらうと、興味を持ってくれる子が一定数います。ここ3年で2人、高校卒業後にうちに入ってくれました。

――採用した若手の定着はどうですか。

村瀬:2人とも今も続けてくれています。ただ、正直に言うと、給料の面で大手にはまだ見劣りします。うちに残ってもらえているのは、「用途を聞いて提案する」という仕事のやりがいの部分を、感じてもらえているからだと思っています。そこが弱まったら、辞めてしまうかもしれないという緊張感は常にあります。

――工場見学以外に、採用のために工夫していることはありますか。

村瀬:面接で「うちは値段の安さで選ばれる工場ではない」とはっきり伝えるようにしています。以前は「なんでも安くやります」と言って人を集めようとしていましたが、それだと入社後にギャップが生まれる。最初に会社の方針を正直に話した方が、結局長く続けてくれる人に出会える気がしています。

集客はWebより紹介、でも変わりつつある

――集客、つまり新しい取引先の開拓はどうされていますか。

村瀬:正直、今もほとんどが既存の取引先からの紹介です。「うちの取引先で、似たような悩みを持っているところがある」と紹介してもらえる。Webサイトは持っていますが、更新が後回しになっていて、正直あまり力を入れられていません。今年からは、聞いた事例を差し障りのない範囲で記事にして、サイトに載せる取り組みを始めました。

――記事にする際、どんなことに気をつけていますか。

村瀬:取引先の名前や、特定できる情報は絶対に出しません。「こういう相談があって、こう変えた」という考え方だけを残すようにしています。まだ本数は少ないですが、それを読んだという問い合わせが初めて来たときは、正直驚きました。

――同業者からの反応はありますか。

村瀬:「うちも同じことをやりたいけど、何を聞けばいいか分からない」と相談されることが増えました。板金加工の団体の勉強会で、この話をする機会をもらったこともあります。同業者に手の内を明かすようなものですが、正直、聞く姿勢そのものは真似されても構わないと思っています。難しいのは、聞いたことを実際に提案に落とし込む部分なので。

――勉強会では、どんな質問が多いのですか。

村瀬:「値上げを切り出すタイミングはどう決めるのか」「断られたときにどう立て直すのか」という質問が一番多いです。うちが取引先を一つ失った話をすると、みんな真剣に聞いてくれます。上手くいった話だけでなく、失敗した経験の方が、実は一番役に立つんだと感じています。

AIとの付き合い方

――情報発信でAIは使っていますか。

村瀬:提案書や記事の下書きに使っています。現場で聞いたことを箇条書きでメモして、それを文章の形にしてもらう。文章を整える作業が苦手なので、そこは助かっています。ただ、「何を聞くか」「何を書くべきか」は、現場に行かないと分かりません。AIに丸ごと任せられる部分ではないと思っています。

――見積もりの計算自体にAIを使うことはありますか。

村瀬:材料費の計算や、過去の類似案件を探す部分では使い始めています。ただ、最終的にいくらにするかは、聞いた背景を踏まえて私が決めます。数字を出すのは早くなりましたが、値決めの判断そのものを渡すつもりはありません。そこはうちの仕事の核だと思っているので。

――社内の他のスタッフも、こうしたツールを使っていますか。

村瀬:事務のスタッフが、聞き取ったメモをAIで整理してから私に共有してくれるようになりました。以前は電話でのやり取りをそのまま口頭で伝えてもらっていましたが、要点が整理された状態で受け取れるので、判断のスピードが上がっています。道具として素直に助かる部分は、遠慮なく使うようにしています。

今後の展望|値段以外の理由で選ばれる工場を、もっと増やす

聞く技術を、会社の力にする

――これから取り組みたいことは。

村瀬:「聞く技術」を、私だけでなく若手の営業や、現場のリーダーも使えるようにしたいです。時間はかかると思いますが、それができれば、私がいなくても回る会社になる。あとは、聞いた事例をもう少し発信して、同じような悩みを持つ会社に「うちも聞いてもらえるかもしれない」と思ってもらえるようにしたいです。

――設備投資など、他に考えていることはありますか。

村瀬:少しずつですが、古い機械を入れ替えています。単価を上げられた分の一部を、設備に回せるようになったのは大きな変化です。ただ、優先順位はあくまで人です。設備があっても、聞く人がいなければ意味がないので。

――今の従業員18名という規模は、増やしたいと考えていますか。

村瀬:急いで増やすつもりはありません。むしろ、今のやり方が回る範囲を大事にしたいです。人数を増やすより、一人ひとりが用途を聞いて提案できるようになる方が、会社としての強さにつながると思っています。無理に規模を追うと、また安さで勝負する昔のやり方に戻ってしまう気がして、それが一番怖いです。

読者に伝えたいこと

――5年後、10年後の村瀬精工を、どんな会社にしたいですか。

村瀬:「値段で断られたことがない工場」を目指したいです。今でも時々、値段だけで比較されて断られることはあります。でも、断られる理由が「他がもっと話を聞いてくれたから」になるくらい、聞く姿勢を突き詰めたい。父から受け取った工場を、次の世代に渡すときに、同じように誇れる形にしておきたいと思っています。

――読者、特に同じように価格競争で悩んでいる経営者に、伝えたいことはありますか。

村瀬:値段を下げる前に、一度「なぜこの価格を求められているのか」を聞いてみてほしいです。うちも最初の一件は、たまたま担当者がこぼした一言がきっかけでした。聞く覚悟を持てば、意外と相手も話してくれます。それだけで、価格競争から半分くらいは降りられると思います。

取材を終えて

「値段を聞かれたら理由を聞き返す」——シンプルな言葉だが、それを仕組みとして根づかせるまでに、村瀬さんは大口の取引先を一つ失っている。値決めを変えることは、単なる営業テクニックではなく、会社の関係性そのものを問い直す作業なのだと感じた。今も「聞く技術」を人に受け継ぐ悩みは終わっていない。それでも、規模を追わず、聞く力を武器にすると決めた村瀬さんの言葉には、迷いながらも自分の足で立っている強さがあった。答えの出ていない課題を抱えながら前に進む姿が、印象に残る取材だった。

(取材・文:編集部/取材日:2026年9月5日)

村瀬 大輔

取材先

村瀬 大輔

代表取締役/村瀬精工株式会社

製造業(精密板金加工)

1984年生まれ。大手自動車部品メーカーを経て2015年に家業へ。2020年に3代目として就任。従業員18名の精密板金加工会社を率いる。

公式サイトを見る ↗

シェア

キーワードを入れるだけで、SEO記事を自動作成。

AIライティングSaaS「Xwriter」。競合分析から本文・画像生成、WordPress公開まで自動化します。