※このページはデザイン確認用のサンプル記事です。登場する人物・企業・エピソードはすべて架空です。
ベテラン職人の腕を、次の世代にどう渡すか。大久保建設で専務を務める大久保亮さんは、その答えを「動画とAI」に見つけた。ただし本人が取材中に何度も繰り返したのは、技術そのものより「なぜそう判断したか」を残すことの方が大事だという話だった。埼玉県内で木造住宅の新築とリフォームを手がける、従業員22名の会社に、資材倉庫を借りて話を聞いた。
創業経緯|父の背中と、ゼネコンで見た「大きすぎる仕組み」
大工だった父の会社
――大久保建設は、もともとどんな会社だったのですか。
大久保:父が一人で始めた大工の工務店です。1978年に、住宅を新築するところから始めて、そこにリフォームや修繕の依頼が増えていって、気づいたら社員が20人を超えていた。うちには「創業のドラマ」みたいなものはなくて、父が日焼けした手で図面を引いていた記憶しかありません。会社という言葉より、大きな家族という感じの方が近かったと思います。
子どものころは、休みの日に現場へ連れて行かれるのが嫌でした。木の粉と接着剤の匂いがする倉庫で、大工さんたちが黙々と加工しているのを見て、正直「継ぎたくない」と思っていたんです。土曜も日曜も現場に出ている父を見て、この仕事は休みがない仕事なんだと子どもながらに感じていました。同級生の父親が会社員でスーツを着て出勤していくのが、うらやましかった時期もあります。
――ご兄弟はいらっしゃるのですか。
大久保:姉が一人います。姉は継ぐ気が最初からなくて、うちは私しか候補がいませんでした。父もそれを分かっていたはずですが、面と向かって「継げ」と言われたことは一度もありません。何も言われないことが、逆に重かった時期もありました。
母は事務を手伝っていて、家では会社の話を一切しない人でした。今になって聞くと、父の仕事の大変さを子どもに感じさせないよう、あえて話題にしなかったそうです。その気遣いのおかげで、私は反発心だけで会社を見ることができたのかもしれません。
あえて外に出た8年間
――大学卒業後は、ゼネコンに就職されていますね。
大久保:はい。父の会社を継ぐ気がなかったので、あえて大きな会社を選びました。マンションや商業施設の現場監督をやっていて、扱う金額も人数も、実家とは比べものにならない規模でした。1つの現場に何十社という協力会社が入って、進行管理をシステムで追いかける。実家のホワイトボードに手書きで工程を書いていた光景とは、まるで別の業界のようでした。
そこで学んだのは、仕組みの力です。工程管理も安全管理も、個人の勘に頼らずに回る仕組みがあった。誰が現場に入っても、一定の品質と安全が保たれるように設計されている。同時に、現場の一人ひとりの顔が見えなくなっていく感覚もありました。うちの会社にいた大工さんたちは、全員の癖や得意分野を父が把握していた。それとは違う世界でした。上司には恵まれて、工程が遅れたときの立て直し方や、協力会社との交渉の仕方を、体で覚えさせてもらったと思っています。
――当時、家業に戻ることは考えていましたか。
大久保:正直、考えていませんでした。むしろ、このままゼネコンで管理職を目指すつもりでいました。年に一度、実家に帰るたびに父が少し老けて見えて、気になってはいましたが、それを継ぐ話とは結びつけていなかったんです。今思えば、目をそらしていた部分もあると思います。
同期の中には、家業がある人が何人かいて、飲み会で「いつ戻るんだ」と冗談交じりに聞かれることもありました。そのたびに「まだ考えていない」とごまかしていましたが、内心では、いつか向き合わなければいけない話だと分かっていたんだと思います。
「継ぐ」と決めた日
――家業に戻ったきっかけは。
大久保:2016年、父から「そろそろ腰が限界だ」と電話がありました。それだけなら、すぐには継がなかったかもしれません。決め手は、うちで一番腕のいい大工の一人が、体調を崩して長期で現場を離れたことです。彼の技術を誰も引き継いでいないことに、外にいた自分が一番驚いた。技術が個人の中に閉じている会社だと、そのとき初めて実感しました。
正直、迷いはありました。ゼネコンでの仕事にもやりがいを感じていましたし、給料や福利厚生も安定していた。妻に相談したとき、「あなたが決めたなら反対しない、でも中途半端に両方見ようとするのはやめて」と言われたのを覚えています。腹をくくって退職の意思を伝えたのは、その電話から3か月後でした。上司には強く引き留められましたが、最後は「実家の会社を継ぐので」というひと言で納得してもらいました。
退職の挨拶回りで最後に会った現場の職長から、「お前は大工にはならないだろうけど、大工を活かす仕事はできるはずだ」と言われたのが、今でも心に残っています。当時はよく分からず聞いていましたが、10年近く経った今、その言葉の意味が少しずつ分かってきた気がします。
大きな会社で仕組みを見て、小さな会社で人を見た。両方見たから、今の仕事のやり方があります。
事業内容・強み|大工を「外注」にしない、という選択
新築とリフォーム、半々の理由
――現在の事業内容を教えてください。
大久保:木造住宅の新築とリフォームを、だいたい半分ずつやっています。新築だけだと景気の波を受けやすいので、リフォームで下支えする形です。エリアは埼玉県内の車で1時間圏内に絞っていて、遠くの仕事は基本的に受けません。年間の新築は10棟前後、リフォームは規模の大小を合わせて60件ほどです。
――エリアを絞るのは、どうしてですか。
大久保:アフターフォローの速さが、うちの強みだからです。雨漏りがしたと電話が来たら、その日のうちに大工が見に行ける距離でないと意味がない。遠くまで手を広げて対応が遅れるより、近くで信頼を積む方を選びました。一度、営業エリアの外から大きな新築の依頼をいただいたことがあるのですが、アフターの体制が組めないという理由でお断りしたこともあります。目の前の仕事を取ることより、後々まで責任を持てる範囲を優先しました。
大工を社員として抱える理由
――他社との違いはどこにありますか。
大久保:大工8人を全員自社の社員として雇っていることです。この業界では、大工は一人ひとりが個人事業主で、工務店がその都度声をかけて現場に呼ぶのが普通です。うちも設備工事などの一部は外の職人にお願いしていますが、木工事のコアになる8人は社員にしています。
社員にすると、閑散期も給料を払い続けないといけないので、正直コストは高い。周りの工務店からは「よくやるな」と言われます。でも、教育ができるのはここだけです。個人事業主の大工さんに「うちのやり方で新人を教えてくれ」とは頼みにくい。社員だからこそ、若手を横につけて育てられます。今の8人のうち3人は、うちに入ってから育てた大工です。彼らが独立していくのは寂しいですが、それも含めて「育てる会社」でいいと思っています。
――育成には、どのくらいの期間がかかるのですか。
大久保:一人で現場を任せられるまで、だいたい8年から10年です。長いと思われるかもしれませんが、木造住宅は木という素材そのものが毎回違うので、経験の積み重ねがどうしても必要になります。最初の3年は、ひたすら先輩の隣で工具を渡すところから始まります。
――教育の内容は、体系化されているのですか。
大久保:恥ずかしながら、これまでは体系化されていませんでした。ベテランの気分と相性次第で、教わることの量が大きく変わっていたんです。今、動画とAIで手順や判断を記録し始めたのは、この差をなくしたいという理由もあります。誰が教えても、最低限のラインは揃うようにしたいと思っています。
印象に残っている仕事
――具体的に印象に残っている仕事はありますか。
大久保:築60年の家のリフォームです。床を剥がしたら、想定していない場所に構造上弱い梁が見つかりました。工期も予算も決まっている中で、そこだけ補強すると追加費用が発生する。しかも見た目には分からない場所で、報告しなければ誰にも気づかれずに済んでしまう状況でした。
そのとき、隠して工事を進めることもできたと思います。でも、うちの現場責任者が写真を撮って、その日のうちにお客様に電話をして、実物を見てもらいながら説明しました。追加の見積もりは出しましたが、お客様は「隠さずに言ってくれてよかった」と言って、追加分もそのまま発注してくれた。工期は2週間延びましたが、完成後にお客様が近所の方を2件紹介してくれました。目に見えない部分を丁寧に扱う姿勢が、結果的に一番の宣伝になったと思っています。
――他にも印象的な仕事はありますか。
大久保:新築で、ご夫婦の意見がなかなかまとまらなかった家がありました。ご主人は収納重視、奥様は開放感重視で、打ち合わせが何度も長引く。うちの設計担当が、両方の希望を書き出して優先順位を一緒に決める作業を、3回に分けて丁寧にやりました。結果的に、当初の予定より打ち合わせ期間は延びましたが、完成後にご夫婦そろって「ここまで付き合ってくれる会社は他にない」と言ってくれました。急いで決めさせないことも、うちなりのサービスだと思っています。
もう一つ覚えているのは、雪の日に高齢のお客様の家の様子を確認してほしいという電話をいただいたことです。契約中の工事とは関係のない、簡単な見回りでした。本来なら断ってもおかしくない依頼でしたが、近所だったので大工が様子を見に行きました。特別なことはしていませんが、そうした対応の積み重ねが、次の仕事につながっているのだと思います。
――その対応は、社内で決まりごとになっているのですか。
大久保:「悪い話ほど早く言う」というのは、口頭で徹底しています。マニュアルにはしていません。マニュアル化すると、守ればいいという話になってしまう気がして。むしろ、現場責任者が自分の判断でそう動けるように、権限を渡すことを意識しています。判断を誤ったときも、まず「早く言ってくれてありがとう」と伝えるようにしています。責めると、次から報告が遅れるようになるので。
仕事の進め方
――お客様との仕事の進め方で、工夫している点は。
大久保:契約前に、必ず現場責任者になる大工本人を同席させています。営業担当の説明と、実際に手を動かす人の説明が違うと、後でトラブルになるからです。同じ人が最初から最後まで担当することで、言った言わないが起きにくくなりました。お客様の顔を知っている大工が現場に入るので、細かい要望も伝わりやすいです。
あとは、工程が変わったときの連絡を早くすることです。雨で1日遅れるといった小さな変更でも、その日のうちにメッセージを送ります。当たり前のようですが、これができていない工務店が多いと、お客様からよく聞きます。連絡の速さだけで、他社から乗り換えてきてくれた方も何人かいます。見積もりについても、内訳をできるだけ細かく分けて、なぜその金額になるのかを口頭でも説明するようにしています。
技術で選ばれることもありますが、最後まで残ってもらえる理由は、たぶん「連絡が早い」の方です。
価格の見せ方で意識していること
――値段の話は、どう伝えていますか。
大久保:うちは決して一番安い会社ではありません。それは最初にはっきり言うようにしています。代わりに、なぜその金額なのかを、材料費・人件費・現場管理費に分けて説明する。特に人件費の部分は、社員大工を育てるためのコストだと正直に話します。安さだけを求めるお客様とは、最初から合わないと分かった方が、後々のトラブルが少ないです。
相見積もりで他社より高いことを理由に断られることもあります。それは仕方がないと思っています。無理に価格を合わせて受けた仕事は、どこかで無理が出て、結局はお客様にもうちにもいい結果を生まないというのが、これまでの経験からの実感です。
会社を大きくしすぎない理由
――受注を増やして、会社をもっと大きくしたいとは思わないのですか。
大久保:正直、声はかかります。フランチャイズ的な形で名前を貸してほしいという話や、他エリアへの出店を勧められたこともあります。でも、大工を社員で育てるというやり方は、規模を急に広げると崩れると思っています。一人の大工を育てるのに8年から10年かかるのに、支店だけ先に増やしても、現場を任せられる人がいなくなる。
年に1人か2人、無理のないペースで採用して育てる。地味なやり方ですが、うちの強みを守るには、このペースを守るしかないと思っています。売上を追いかけて質を落としたら、紹介で成り立っている今の仕事の取り方そのものが崩れてしまいます。
苦労した時期と乗り越え方|見て見ぬふりをした一つのひび割れ
戻った直後の空気
――家業に戻った直後は、うまくいきましたか。
大久保:いえ、最初の2年は苦しかったです。ゼネコンでの仕組みをそのまま持ち込もうとして、大工さんたちに反発されました。工程表をきっちり作って提出させようとしたら、「そんな暇があったら手を動かす」と言われて終わりです。父も表向きは私に任せる態度でしたが、大工さんたちの前では私の指示を黙って変えていました。会議室でホワイトボードを使って説明しようとしたら、一番のベテランが黙って席を立ってしまったこともあります。
当時は本気で「戻ってきたのは間違いだったか」と思っていました。ゼネコンでの経験がそのまま通用すると思っていた自分の甘さに、後から気づきました。
見過ごした小さなひび割れ
――具体的な失敗はありますか。
大久保:2018年、新築の基礎コンクリートに、細いひび割れが入りました。担当した若い現場責任者が「よくあるひび割れの範囲内」と判断して、そのまま次の工程に進めた。私も報告を受けて、大丈夫だろうと流してしまったんです。当時は毎日いくつもの現場を回っていて、細かい報告に一つひとつ向き合う余裕がありませんでした。
結果的には構造上の問題はなく、補修で済みました。ただ、お客様に伝えたのは工事が進んでからで、先に言うべきだったと後から気づきました。お客様には正直に謝って、補修費用はうちで持ちました。幸い大きなクレームにはなりませんでしたが、自分の中では今も一番の反省点です。あのとき、もし構造上の問題があったらと考えると、今でも背筋が冷たくなります。
――そこから何を変えましたか。
大久保:「気になったことは、程度に関わらずその日のうちに報告する」というルールを作りました。判断が正しいかどうかより、報告が早いかどうかを評価の基準にしたんです。現場責任者が自分の判断で止められる空気を作らないと、同じことが起きると思いました。報告を受けたら、まず現地を一緒に見に行く。その積み重ねが今の対応の速さにつながっています。
父との距離の縮め方
――父との関係は、その後どう変わりましたか。
大久保:このひび割れの件を父に相談したとき、初めて「お前の判断でいい、責任は俺も持つ」と言われました。それまでは口では任せると言いながら、実際には自分の物差しで見ていたんだと思います。あの一件があったから、父も私に現場を任せる覚悟ができたのかもしれません。結果的には、痛い出来事が転換点になりました。今は父はほとんど現場に出ませんが、年に数回、若手への声かけだけをしてもらっています。
――今振り返って、あの2年間をどう思いますか。
大久保:必要な時間だったと思います。ゼネコンの仕組みをそのまま持ち込もうとして失敗したからこそ、うちの規模とやり方に合った形を自分で考えるようになりました。あの時期に大工さんたちに何度も突き返されたことが、今の自分の土台になっています。
もう一つ苦しかったのは、経営の数字を初めて自分で見たときです。ゼネコン時代は給料が自動的に決まっていましたが、家業では利益が出ないと社員に払う給料そのものが揺らぐ。最初の決算で、思っていたより利益が薄いことに気づいて、しばらく夜眠れませんでした。そこから、どんぶり勘定だった経費の管理を、少しずつ見える形に変えていきました。
職人からの信頼を取り戻すまで
――大工さんたちからの信頼は、どうやって取り戻したのですか。
大久保:特別なことはしていません。現場に毎日顔を出して、道具を運んだり、掃除をしたり、小さな作業を一緒にやることを続けました。口で「任せてください」と言うより、手を動かしている方が信じてもらえると分かったんです。半年くらいして、一番反発していたベテランが「昼飯、一緒に行くか」と初めて声をかけてくれました。あの一言で、ようやく認めてもらえたと感じました。
今でも大きな判断をする前は、必ず現場の大工に一言相談するようにしています。経営の判断であっても、現場の感覚とずれていないかを確かめたいので。設備投資や採用計画のような話でも、大工の意見を先に聞くようにしてから、社内の空気が明らかに変わりました。
失敗を隠さずに報告できる空気の方が、失敗をゼロにする仕組みより大事だと思うようになりました。
経営の課題・集客・採用|「かっこいい」を先に見せる
今、経営で一番の課題は何ですか
――今、経営で一番の課題は何ですか。
大久保:人です。腕のいい大工がこれから何人も引退していく一方で、新しく入ってくる若手が全然足りていません。技術の引き継ぎを急いでいるのも、根本はここにあります。人が足りないまま仕事を受け続けたら、いつか品質を落とすか、断るしかなくなる。それが一番怖いです。同業者の会合でも、ここ数年はどこも同じ話をしています。
もう一つ悩んでいるのは、資材の価格です。数年前から木材や金物の値段が上がり続けていて、見積もりを出してから実際の発注までの間に値段が変わってしまうこともあります。お客様に事前に説明はしていますが、正直、完全には読み切れない部分です。人の問題と価格の問題が同時に来ているのが、今の一番しんどいところです。値上がり分をすべてお客様に負担してもらうのも心苦しいので、発注のタイミングを工夫したり、複数の材木店から見積もりを取ったりして、できる範囲で吸収する努力を続けています。
集客・採用はどうされていますか
――集客・採用はどうされていますか。
大久保:集客は8割が紹介と再訪です。広告はほとんど出していません。採用は正直、苦労しています。工務店の求人サイトに載せても、応募がほとんど来ない年もありました。建設業というだけで、きつい・汚い・危険というイメージが先に立ってしまうのだと思います。
去年から、職人の手元を撮った動画の一部を、会社のサイトと求人ページで公開するようにしました。もともとは技術を残すために撮っていたものですが、「大工の仕事って、実際どんな感じなんだろう」と思っている高校生や転職希望の人に、作業の様子がそのまま伝わる。言葉で「やりがいがあります」と書くより、手元の動画1本の方が効きました。応募が去年より増えていて、今年は高校の職業体験の受け入れも初めて行いました。
――採用した若手が定着するために、意識していることはありますか。
大久保:入社前に、実際の現場を1日体験してもらうようにしています。夏の暑さや、道具の重さを事前に知ってもらった上で決めてほしいので。イメージだけで入って、すぐに辞めてしまうのが一番もったいないです。体験してから入社した若手は、今のところ全員続いています。求人サイトの担当者からは「体験を先にやると応募が減りますよ」と言われたこともありますが、それでもこの順番は変えないつもりです。
入社後の3か月は、私自身が週に一度、必ず本人と1対1で話す時間を作っています。仕事の話だけでなく、「休みの日は何をしているか」くらいの雑談も含めてです。ここで小さな違和感を早く拾えれば、大きな不満になる前に対応できると思っています。この仕組みを始めてから、入社1年以内の離職は出ていません。小さな会社だからこそできる、時間のかかる採用のやり方だと思っています。
今年入った22歳の社員は、体験の日に「思っていたより数字を使う仕事なんですね」と言っていました。木材の寸法や角度を計算する場面が多いのを見て、意外だったようです。そのギャップを先に埋めておくことが、長く続けてもらう一番の近道だと感じています。
Webや情報発信との付き合い方
――Webでの情報発信は、どのように考えていますか。
大久保:会社のサイトは、正直長いあいだ更新していませんでした。今も派手なことはしていません。ただ、施工事例のページだけは月に1本くらい増やすようにしています。文章を書く時間がないので、現場責任者に話してもらった内容をAIに整えてもらって、写真を選んで載せる。この作業に前は半日かかっていたのが、1時間くらいになりました。
採用も集客も、派手な発信より「実物が想像できるかどうか」が大事だと感じています。見栄えのいい言葉より、現場の匂いが伝わるものの方が、うちには合っている気がします。SNSも試してみましたが、更新が続かなくてやめました。無理に手を広げず、続けられる範囲でやるのがいいと今は思っています。
AIについても、あくまで「文章を整える」「動画を要約する」といった作業の補助として使っているだけです。現場の判断や、お客様との会話をAIに任せることは考えていません。便利な部分だけをつまみ食いする、くらいの距離感がちょうどいいと思っています。
今後の展望|手順書ではなく「判断のクセ」を残す
――これから取り組みたいことは。
大久保:今やっている動画とAIの記録を、もう少し体系立てて、新人研修の教材にしたいと思っています。今はまだ、撮れたものをその都度整理しているだけなので。3年後には、新人が入ったらまずこの教材を見てもらう、という流れを作りたいです。
それと、記録するのは作業手順よりも「なぜここで止めたか」「何を見て、その判断をしたか」という部分だと決めています。手順は動画を見れば分かりますが、判断のクセは本人に語ってもらわないと残らない。そこを聞き出す役目は、これからも人がやるべきだと思っています。
――他に、経営として考えていることはありますか。
大久保:今の8年から10年という育成期間を、もう少し短くできないかとも考えています。判断の記録が積み重なっていけば、若手が先輩の失敗や迷いを先に知ることができる。ゼロから経験するより早く育つはずです。ただ、これは仮説の段階で、まだ結果が出ているわけではありません。焦らず、5年くらいのスパンで見ていきたいと思っています。
――読者の方に、ひとことお願いします。
大久保:職人の技術って、失ってから気づくものが多い気がします。うちも、いなくなってから困る前に動けたのは、たまたま早く気づけただけです。似た悩みを抱えている会社が、他にもたくさんあるんじゃないかと思っています。動き出すのに、早すぎるということはないはずです。
取材を終えて
「見て覚えろ」が通じなくなったのは、大久保建設だけの話ではないだろう。技術を引き継ぐ手段としてAIを使う一方で、大久保さんが最後まで手放さなかったのは「聞き出す」という人の役割だった。手順ではなく判断を残す、という線引きに、取材する側として深く頷いた。資材倉庫に漂う木の匂いの中で、静かに、しかし迷いなく話す姿が印象的だった。会社を大きくしすぎない、という選択も含めて、大久保さんの判断はすべて「育てる時間を守る」という一点に向いているように感じた。
(取材・文:編集部/取材日:2026年6月18日)