※このページはデザイン確認用のサンプル記事です。登場する人物・企業・エピソードはすべて架空です。
予約サイトの点数に一喜一憂する日々をやめ、「うちに合う人」に向けて情報を出すことにした。客室12室、創業78年の温泉旅館。4代目女将の北村千尋さんは、あえて「向いていない方」を公式サイトに書くという、勇気のいる判断をした。群馬県の宿で、その経緯を聞いた。
創業経緯|東京から戻るつもりはなかった
東京での13年
――家業に戻るまでは、どんな仕事をされていたのですか。
北村:18歳で東京に出て、ホテルのフロントで13年ほど働いていました。宿の仕事ではあるのですが、旅館とは全然違う世界です。大きなホテルで、毎日何百人ものお客様をチェックインさせて、次々と部屋に案内する。効率を突き詰める仕事で、それはそれで面白かったです。実家に戻るつもりは、正直、ほとんどありませんでした。
――旅館の仕事は身近だったと思いますが、継ぐ意識はなかったのですか。
北村:子どもの頃から、旅館の手伝いは当たり前にしていました。布団を敷いたり、朝食の配膳をしたり。でも、それが「継ぐこと」につながるとは思っていなくて、むしろ早く外の世界を見たいという気持ちのほうが強かったです。姉が家を継ぐだろうと、勝手に思っていた部分もあります。
――東京での経験は、今の仕事にどう役立っていますか。
北村:意外と役立っています。あの効率重視の現場で、大勢のお客様に同じ対応をする経験をしたからこそ、今は逆に「一人ひとりに違う対応をする宿」の価値がはっきり分かるんです。全員に同じサービスを提供することの限界を、身をもって知っていたから、うちの宿で違う方向を選べたのだと思います。
――東京の仕事で、印象に残っている失敗はありますか。
北村:効率を優先するあまり、疲れきったお客様に、決まったトーンの言葉しかかけられなかった時期があります。ある方に「もう少しゆっくり話を聞いてほしかった」と苦情を受けたことがあって、あれは今も忘れられません。効率と、人と向き合う時間は、両方は取れないんだと痛感した出来事でした。
手伝うつもりで帰ったら
――家業に戻ったきっかけを教えてください。
北村:2018年、父が体調を崩して、母から「少しの間だけ手伝ってほしい」と連絡がありました。姉は結婚して県外に出ていて、すぐには動けない状況でした。1〜2か月のつもりで、東京の仕事は休職扱いにして帰ったんです。
戻ってみたら、思っていたよりずっと経営が厳しい状態でした。客室の稼働率は平日で3割程度。従業員も高齢化していて、若い人はほとんどいない。父はそれでも「大丈夫だ」と言い続けていましたが、帳簿を見れば大丈夫でないことは一目で分かりました。手伝うつもりが、気づいたら東京の部屋を解約していました。
――帰ってすぐの頃、印象に残っている出来事はありますか。
北村:戻って最初の週末、常連のお客様が「あら、千尋ちゃん」と声をかけてくれたんです。子どもの頃に何度も顔を合わせていた方でした。東京では誰も自分のことを知らない場所で働いていたので、名前を覚えていてもらえることの重みに、改めて気づかされました。あの瞬間から、少しずつ気持ちが変わっていったように思います。
女将になった日
――経営を引き継いだのは2022年ですね。
北村:父の体調が完全には戻らず、私が現場に入って4年目に、正式に女将として経営を引き継ぎました。それまでも実質的には私が動いていたので、肩書きが変わっただけという感覚もありますが、責任の重さは全く違いました。何かあったときに最終的に判断するのは自分なんだと、契約書に印を押した瞬間に、初めて実感が来た気がします。
――女将になってから、意識が変わった瞬間はありますか。
北村:引き継いだ翌週、古くからの取引先の酒屋さんから「これからは千尋さんが決めるんだね」と言われたことがあります。それまでは、何かあれば父に確認すればいいと思っていた部分が、自分の中にまだ残っていたんだと気づきました。あの一言で、覚悟が決まった気がします。
引き継ぎの直前、姉から「本当に大丈夫なの」と電話がありました。県外にいる姉は継ぐことができなかった分、心配してくれていたんだと思います。「大丈夫かどうかは、やってみないと分からない」と答えたのを覚えています。今もその答えで合っていたと思っています。姉には今も、経営の大きな判断をする前に電話で話す習慣が残っています。実際に手を動かすのは私一人でも、外から見てくれる存在がいることは、思っていた以上に心の支えになっています。
事業内容・強み|「向いていない方」を書く勇気
何を大事にしている宿か
――湯宿きたむらは、どんな宿を目指しているのですか。
北村:客室12室の、静かに過ごしていただく温泉旅館です。建物は古くて、エレベーターもありません。子ども向けの設備も、ゲームコーナーのようなものも置いていません。誰にでも便利な宿ではなく、「何もしない時間」を求めている方に向けた宿だと思っています。
以前はそれを、はっきり言葉にしていませんでした。予約サイトで探している方全員に選ばれたいという気持ちが先にあって、結果として、宿の輪郭がぼやけていたんです。
部屋には基本的にテレビを置いていません。最初は「お客様に不便では」と心配しましたが、実際に置かないことにしてから、静かに過ごしたいという方の満足度のほうが上がりました。夕食も部屋食を基本にして、他のお客様の声が気にならない造りにしています。効率だけを考えれば手間のかかる形ですが、それがうちの「静かさ」を支えている部分です。
――客室12室という規模は、意図して決めたものですか。
北村:祖父の時代からこの規模です。増やそうと考えたことはありません。12室だからこそ、朝食のときに私がお客様一人ひとりと少し話す時間が取れる。規模を大きくしたら、この距離感は保てなくなると思います。
季節によって、庭の手入れや館内の花の飾り方も変えています。派手な演出ではなく、来られた方が「今の季節だ」と感じられる程度の変化です。派手さより、静かな変化に気づいてもらえることを大事にしています。
――どんな年代のお客様が多いのですか。
北村:40代から60代の方が中心です。子育てを終えた夫婦や、一人旅の女性も増えてきました。以前は家族連れ向けのプランも作っていたのですが、今はほとんど作っていません。来てほしい方の顔がはっきりしてから、プランを考える順番も変わりました。
「向いていない方」を書く勇気
――公式サイトに「向いていない方」を書くというのは、珍しい発想ですね。
北村:2023年から、公式サイトのトップに近い場所に「お子様連れのお客様には不向きです」「館内にエレベーターはございません」とはっきり書くようにしました。それまでは、こうした情報を問い合わせがあったときにだけ答える、目立たない場所に小さく書く程度でした。
正直に書くと、予約が減るのが怖くて、なかなか踏み切れませんでした。でも、来てから「思っていた宿と違った」と感じさせてしまうことのほうが、長い目で見ると失礼だと思うようになったんです。合わない方に来ていただくのは、お客様にとっても、うちにとっても、良いことではありません。
文章の言い回しは、何度も直しました。最初は「お子様連れはお断りします」という強い言い方にしていたのですが、スタッフから「これだと排除しているみたいで冷たい」と指摘を受けて、「静かに過ごしたい方向けの宿のため、お子様連れには不向きです」という、理由を添えた言い方に変えました。断るのではなく、理由を伝えるという発想に変えたことで、書きやすくなった部分もあります。
公開する前に、スタッフ全員に文章を読んでもらいました。「これを読んで、来たくなるか」「これを読んで、嫌な気持ちにならないか」の両方を確認してもらう。何度か書き直して、最終的に今の文章に落ち着くまで、2か月近くかかりました。
印象的なエピソード
北村:去年、一人で来られた女性のお客様が、チェックアウトのときに「不向きですと書いてあったから、逆に安心して選べました」と言ってくれたんです。子ども連れがいない宿を探していて、うちのサイトの一文で、初めてそれが確認できたと。狙って書いた言葉が、狙ったとおりの方に届いた瞬間で、今でもよく覚えています。
反対に、書く前の時期には、小さなお子様を連れたご家族が来て、静かな館内に居づらそうにされていたこともありました。ご家族に悪気は全くなくて、うちの宿の説明が足りなかっただけです。あのときの気まずさが、正直に書く決断の後押しにもなりました。
もう一つ覚えているのは、常連のご夫婦からいただいた手紙です。「昔から静かな宿だと思って来ていたけれど、最近はっきり言葉にしてくれるようになって、人に勧めやすくなった」と書かれていました。私たちにとっては当たり前だった雰囲気を、言葉にして初めて、常連のお客様自身も人に説明しやすくなったんだと分かりました。
ただ、正直に書いたことで、常連のお客様の中には「水を差された」と感じた方も、少なからずいたようです。面と向かって言われたことはありませんが、来店の頻度が減った方もいます。全員に喜ばれる決断ではなかったことは、今もはっきり自覚しています。
反対に、正直に書く前は、こちらから何も言わないまま来てしまって、静かな環境に驚かれる方もいました。「もっと賑やかな宿だと思っていた」と苦笑いされたこともあります。悪い意味でのサプライズは、宿にとって一番避けたいことだと、その頃から強く思うようになりました。
スタッフの一人からも、「この宿は何を大事にしているか、面接のときよりも、この文章を読んでやっと分かった」と言われたことがあります。お客様に向けて書いた言葉が、実は社内の意識をまとめる役割も果たしていました。
今では、新しく入ったスタッフに宿の方針を説明するときも、公式サイトの文章をそのまま読んでもらうことがあります。私の言葉で長々と説明するより、短い一文のほうが、宿の輪郭を正確に伝えられることに気づきました。
合わない方に選ばれてしまうことは、合う方に選ばれるのと同じくらい、お互いにとって残念なことなんです。
他の旅館との違い
――近隣の旅館とは、方向性が違うのでしょうか。
北村:近くの旅館さんの多くは、家族連れやグループ向けに設備を増やしています。それは地域全体で見れば正しい判断だと思います。うちは12室という規模もあって、全方向に対応する体力がありません。だからこそ、対応する層をあえて絞って、その分深く満足していただく方向を選びました。規模が小さいことを、弱みではなく、絞り込める理由にしたという感じです。
価格帯も、あえて中間より少し上に設定しています。安さで比較されると、うちのような小さな宿は不利になりますし、価格を抑えるためにサービスを削れば、目指している静かな時間の質が下がってしまう。値段よりも「合っているかどうか」で選んでもらう、という考え方に振り切りました。
大きな温泉旅館やホテルチェーンは、大浴場やイベント、宴会場など、幅広い層に対応する設備を持っています。うちにはそのどれもありません。それでも「何もないこと」を選んで来てくれる方がいる。設備で比べれば負けている部分がほとんどですが、比べる土俵を変えれば、うちにも選ばれる理由があるのだと思っています。
――規模の小ささを、今後も維持するつもりですか。
北村:今のところ、増やす予定はありません。増やせば当然、経営としては安定しやすくなるとは思います。ただ、12室を超えた瞬間に、私が一人ひとりのお客様の顔を覚えられなくなる気がしていて、そこは譲らないようにしています。同業の方から「もっと部屋数を増やせば」と勧められることもありますが、規模を追う話とうちの宿の話は、別の軸だと考えています。
――地域の旅館組合などでは、どんな話をされますか。
北村:組合の会合で今回の話をしたら、「うちも本当は絞りたいけど、勇気が出ない」という声を何軒かからいただきました。地域全体としては、いろいろなタイプの宿があったほうがお客様の選択肢が増えるので、うちのような宿があってもいいと言ってもらえたのは、心強かったです。
苦労した時期と乗り越え方|点数に振られた3年間
4.5点を目指していた頃
――正直に書く前は、どんな運営をしていたのですか。
北村:予約サイトの評価点を4.5点にするという目標を、ずっと掲げていました。低い評価が一件付くたびに、原因を探して対策する。夕食の時間を選べるようにしたり、子ども向けの浴衣やアメニティを増やしたり。良いことのように見えますが、対策を重ねるたびに、宿の個性が薄まっていく感覚がありました。
スタッフも、レビューが来るたびに一喜一憂していました。悪いレビューが一件でも付くと、その日の空気が重くなる。数字に追われている感覚が、ずっと事務所の中にありました。
――当時、ご自身も点数を細かく確認していたのですか。
北村:毎朝、真っ先に確認していました。0.1点下がっただけで、その日一日、気分が沈んでいました。今思えば、お客様のためというより、自分の安心のために数字を追っていた部分もあったと思います。
――具体的に、どんな対策をしていたのですか。
北村:アメニティの種類を増やしたり、コーヒーメーカーを部屋に置いたり、正直、他の宿の評判が良い設備を真似することが多かったです。自分たちで考えたというより、レビューの点数を上げるための後追いの対策ばかりでした。効果はあったのですが、何のためにやっているのか分からなくなる瞬間がありました。
「向いていない方を書く」という賭け
――正直に書くことに、社内で反対はなかったのですか。
北村:ありました。父は「わざわざお客様を減らすようなことを書くな」と、最後まで納得していませんでした。長年、来てくれる方を一人でも増やそうとしてきた人なので、当然の反応だと思います。古くからいる仲居さんの一人にも「今までのお客様に失礼ではないか」と言われました。
それでも、私は一度書いてみたかった。理屈で説明しても納得してもらえないと思ったので、「3か月やってみて、だめならすぐ戻します」と約束して、押し切る形で始めました。今思えば、かなり強引な進め方だったと思います。
――お父様以外の反応はどうでしたか。
北村:取引先の酒屋さんや近所の旅館さんからは、意外と好意的な反応が多かったです。「そこまで正直に書く宿は珍しい」と面白がってくれる方もいました。反対していたのは、身内と、長年働いてくれている一部のスタッフだけでした。近い立場の人ほど、変化を怖がるものなのかもしれません。
スタッフ会議では、賛成と反対がほぼ半々でした。多数決で決めたわけではなく、最終的には女将としての私の判断で押し切った形です。今のやり方に賛成でなかったスタッフにも、その後の変化を見てもらって、少しずつ納得してもらえたと思っています。
数字が戻るまでの数か月
――実際に予約は減ったのですか。
北村:最初の1か月は、前年同月より予約が2割ほど減りました。父の顔色をうかがう日々で、正直、心が折れそうでした。「やっぱり戻したほうがいいのでは」と、自分から言い出しそうになったこともあります。
ただ、2か月目あたりから、来てくださる方の満足度がはっきり上がっているのが、感想やレビューの文面から伝わってきました。数は少なくても、「まさにこういう宿を探していた」という言葉が増えていく。半年経つ頃には予約数も戻り、再訪率は3割から5割に上がっていました。父も、そのころには何も言わなくなっていました。
あの半年の間、常連のお客様から「前のほうが賑やかで良かった」と言われたこともありました。正直、心が痛みましたが、「賑やかさ」を求める方には、他にもっと合う宿があると今は思えます。当時はそう思えるだけの余裕がありませんでした。
――その数か月、ご自身の気持ちはどう保っていたのですか。
北村:正直、保てていない日もありました。母に「もう戻したい」と泣きながら電話したこともあります。母は「あなたが決めたことだから、もう少し見てみたら」と、ただ話を聞いてくれました。答えを出してくれたわけではないのですが、それだけで少し楽になれました。
半年後、ようやく数字が戻ったとき、一番安心したのは父の表情でした。何も言わずに、予約表を見て小さくうなずいていたのを覚えています。あの日から、父はうちのやり方に何も口を出さなくなりました。
経営の課題・集客・採用|今の一番の悩みは、建物と人
経営で一番の課題
――今、経営で一番の課題は何ですか。
北村:建物の維持です。創業78年で、あちこちに古さが出ています。静かな雰囲気を保つには古い建物がむしろ強みなのですが、水回りの修繕や耐震の補強には、想像以上にお金がかかります。うちの規模だと、大規模な改修を一気にする資金力はないので、毎年少しずつ直しながら、優先順位をつけてやっています。
――修繕の優先順位は、どう決めているのですか。
北村:お客様の安全に関わる部分を最優先にしています。次に、静かな雰囲気を保つために必要な音や振動の対策。見た目の古さは、むしろ味として残すこともあります。全部を新しくする必要はないと思っていて、直すべき部分と、残すべき部分を分けて考えるようにしています。
――修繕にかかる費用は、どのくらいの規模ですか。
北村:年によって差はありますが、毎年、売上の1割前後を修繕に充てています。派手な投資ではありませんが、これを止めると、数年後に一気に大きな出費になることが分かっているので、少しずつでも続けることを大事にしています。
集客のやり方
――集客はどのようにされていますか。
北村:予約サイトからの流入もありますが、公式サイトへの直接の予約を増やそうとしています。季節ごとの過ごし方や、近所の散歩道、近くの蕎麦屋の話などを記事にして載せています。うちの宿を選ぶ理由になる情報を、先に渡しておくという感覚です。
書く時間がないので、私が話したことをスタッフがAIで文章にして、私が事実と違う部分だけ直しています。以前は1本仕上げるのに半日かかっていたのが、今は30分ほどで済むようになりました。
――記事はどのくらいの反応がありますか。
北村:アクセス自体は多くありません。ただ、記事を読んで来てくれた方は、滞在中の満足度が高い傾向があります。「散歩道の記事を読んで、実際に歩いてみた」と言ってくださる方もいて、数より、来てからの体験につながっているかどうかを大事にしています。
近隣の温泉地全体を紹介するような取り組みにも、少しずつ参加するようになりました。うちだけでなく、地域ごと選んでもらう発想も必要だと感じています。近くの美術館や蕎麦屋さんとも、互いのお客様を紹介し合う関係が少しずつできてきていて、一つの宿だけで頑張るより、この土地ごと選んでもらう方向のほうが、長い目で見ると強いのではないかと思っています。
採用について
――採用はどうされていますか。
北村:正直、一番苦労しています。温泉地とはいえ、若い人が住みたいと思う町ではないので、地元だけでの募集ではなかなか集まりません。今は、都市部から地方の宿で働きたい人を探す求人サイトを使って、少しずつ縁がある方を採用しています。うちの宿の考え方に合う人かどうかを、面接でかなり時間をかけて話すようにしています。
――スタッフの定着率は変わりましたか。
北村:ここ2年は、辞める人がほとんどいません。以前は年に1〜2人入れ替わっていたのですが、今の宿の方向性に共感して来てくれる人が増えたからだと思います。合わない人を採らなくなった、という面もあるかもしれません。
――採用した方には、どんな研修をしていますか。
北村:最初の1か月は、接客より先に、うちの宿がなぜ今のやり方を選んだのかを、私から直接話す時間を作っています。理由を分かってもらわないと、お客様への説明でつまずくことが多いからです。手順を教えるより、考え方を伝えることを優先しています。
AIとの付き合い方
北村:記事づくり以外にも、予約の問い合わせメールの下書きにAIを使うことがあります。ただ、実際に送る前には必ず自分で読み直します。特に、お断りの連絡や、体調不良のお客様への返信は、言葉一つで印象が変わるので、そこは時間をかけても自分の言葉で書くようにしています。
スタッフの中には、最初AIを使うことに抵抗がある人もいました。「自分の言葉じゃなくなる気がする」と。でも、下書きを作るだけで、最終的な言葉を選ぶのは自分だと分かってからは、抵抗も減っていきました。道具として使う分にはいいけれど、任せきりにはしない、というのが今の共通認識です。
使っているのは、いわゆる汎用のAIチャットです。特別なシステムを導入する予算はないので、スタッフが個人のスマートフォンからでも使えるものを選んでいます。難しい仕組みより、みんなが今日から使えることを優先しました。
便利になった分だけ、人の手を残す場所をはっきり決めておかないと、宿の雰囲気まで薄くなってしまう気がします。
今後の展望|静かな宿を、もっと分かりやすくしたい
これから取り組みたいこと
――これから取り組みたいことはありますか。
北村:今は12室のうち2室だけ、一人旅や夫婦向けに静けさを強めた部屋にしています。これを増やして、うちの宿の「向いている人」がもっと分かりやすい形にしたいと思っています。今は言葉で説明している部分を、部屋そのもので伝えられるようにしたいんです。
――部屋を変えるとなると、費用もかかりますね。
北村:かかります。今の稼働率の中で少しずつ積み立てて、5年計画くらいで考えています。焦って一気にやると、今のお客様に無理な値上げをすることになりかねないので、ゆっくりでいいと思っています。
――ご家族の反応は今はどうですか。
北村:父は最近、常連のお客様に「うちは今、こういう宿でやっています」と、自分から説明するようになりました。あれだけ反対していたのに、今は一番の理解者かもしれません。素直に嬉しいです。
――今後の目標として、数字で見ているものはありますか。
北村:点数はもう見ていませんが、再訪率だけは今も追っています。今5割まで来たので、次の目標は6割です。初めて来る方を増やすより、一度来た方にもう一度選んでもらえる宿でいたい。そのための数字だと思っています。
読者へ
――読者へ、ひとことお願いします。
北村:合わないかもしれない、と正直に書くのは怖いことです。でも、それを書けたときに初めて、本当に合う方に届く言葉になるんだと思います。うちの小さな宿で起きたことが、同じように悩んでいる方の何かの参考になれば嬉しいです。正直に書くことで失うものも、確かにありました。それでも、失うものより、届く言葉のほうを選びたいと思っています。
取材を終えて
「向いていない人」を書く勇気が、宿の輪郭をはっきりさせた。父親の反対を押し切った3か月という約束、数字が戻るまでの不安な数か月——北村さんの話には、迷いの跡がそのまま残っていた。点数ではなく再訪率を見る、という指標の選び方も、静かに芯の通った判断だと感じた。全員に喜ばれる決断ではなかったと本人が認める、その正直さこそが、この宿の一番の売りなのかもしれない。反対していた父が、いつの間にか一番の説明役になっていたという話に、時間をかけて変化を受け止めた家族の姿が重なった。
(取材・文:編集部/取材日:2026年7月19日)